A:蒼茫の大蟹 ナン
サプサ産卵地のサハギン族が、蒼茫洋の海底都市から、秘密兵器を持ってきたらしいの。いえ、正しくは、連れて来たというべきかしら……。
そいつは「ナン」という名の巨大肉食蟹よ。先日、現われたときは、黒渦団の精鋭たちが、どうにか退けたみたいだけど……かなりの難敵みたいね。
~手配書より
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ショートショートエオルゼア冒険譚
唐突だけど、あたしは蟹が好きだ。
一晩中でも絶え間なく食べてられるんじゃないかと本気で想像するレベルで蟹を食べるのが好きなのだ。なのに、この目の前のテーブルに積まれた蟹の山を前に何故か体が動かない。まさしくこれは拷問だ。
昔、孤児院で暮らしていた頃、育ての父と母が気まぐれで大量の蟹を買ってきたことがある。その頃あたしはまだ蟹の味を知らなかったがなんとなくピンとくるものがあって、その日の食卓には誰よりもはやく席に着いて、いただきますの号令を今か今かと待っていた。その頃のあたしと言えば自分で言うのもなんだが少食で、食欲旺盛だった姉のお皿におかずをコッソリ寄付したりていた。気付いていたかは知らないが姉もきっと喜んでいたことだろう。そのあたしがまだ未知だったにもかかわらず、この「蟹」という神が造り給うた食材のただならぬ気配に引き付けられていた。そして最初の一口目でその予想遥かに凌駕した味にすっかり虜になってしまった。
その日、あたしはドン引きして自ら蟹を差し出した姉と取られることを嫌がる妹の蟹を強奪し、それ以上食べたらお腹を壊すぞという養父の言葉にも気付かず、誰よりも長く食卓で蟹を貪っていた。
そのあたしが、山盛りの蟹を目の前に動けないのだ。あたしは死に物狂いで藻掻いた。
どのくらい暴れていただろうか。少しだけ体が前に動くようになってきた。
あと少しで蟹に届きそうだ。あたしは必死になって蟹に向かって首を伸ばし、体を揺すった。
その時、誰かが遠くから呼ぶ声が聞こえた。
なんなのよ、今いそがしいのよ!
あたしは無視して藻掻いた。すると今度はやけにはっきり声が聞こえた。あたしの名前を呼んでいる。
あたしは目を開こうとした。ん?あたしはいつから目を閉じてたんだろう?
すると、急に体に感覚が戻ってきた。お腹の辺りを猛烈な力で何かが押していて、呼吸が苦しい。
目を開くと目の前にブクブクと口から泡を吐く巨大な蟹の顔が視界一杯に見えた。
「ぎゃあああああああっ」
あたしは不覚にも情けなくも恥ずかしい叫び声を上げた。
その瞬間、お腹を押さえる圧力がフッと消え、目の前を巨大な蟹の鋏が体液を撒き散らしながら吹っ飛んでいった。
「ねぇ、大丈夫?」
相方があたしを圧し潰そうと押さえつけていた巨大蟹の腕を根元から切断したのだ。あたしは四つん這いでカサカサと這いながら蟹との間合いを取った。
「かなり苦しそうだったけど、痛いところはない?」
相方は剣の切っ先を蟹に向けながら、あたしと蟹との間に立ち、肩越しに聞いた。
苦しそうだったのは蟹が食べられなかったからだとも、食材に凌辱されて傷付いたのはあたしの乙女心だとも言えず、黙って頷いた。
そうだった。今回のターゲットは新しい産卵地を求めるサハギン族が邪魔な黒渦団を殲滅するために蒼茫洋の海底都市から連れてきた生物兵器の蟹だ。体高は3m程、後ろ足で立ち上がると5mは超えている。蟹のくせにかなり素早く縦横無尽に移動する上に、かなりの高さにまで跳躍する出鱈目な機動力をもっている。その見た目からは想像できなかった機動力であたしは詠唱の途中で押しつぶされたのだ。
「よくも騙したわね」
別に騙されたわけではないが、あたしはいつも以上に殺気立っていた。